能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

遊行柳(ゆぎょうやなぎ)解説

前シテ:尉     後シテ:老柳の精     ワキ:遊行上人     ワキツレ:従僧(2~3人)     アイ:所の者
作者:観世小次郎信光     出典:「新古今集」巻三 262番和歌 

あらすじ

(出典について)
本曲の類曲に、同じく西行法師の和歌を題材にした「西行桜」があります。
まず、西行の人となりを大まかに説明します。本名佐藤義清(のりきよ)、平安末期の歌人です。元は鳥羽院の北面の武士(名誉ある精鋭部隊)で、文武両道に優れ、美形でもあったと伝えられています。しかし、1140年22歳の若さで出家します。出家の理由は諸説ありますが、源平盛衰記に記されているように、非常に高貴な上臈女房と関係をもってしまったのを、主上(帝)に見抜かれてしまった故の出家だという恋愛説が、浮世の成功に拘らない西行の生き様に近く、面白いように思われます。彼は終生山里の小さな庵で、和歌を通じて悟りに到ろうとしました。よく旅にも出、旅の詩人とも言われています。本曲も奥州への旅の途中、栃木県那須町の蘆野の里で詠まれた歌を題材にしています。「道のべに 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ」。歌は生涯2,000首以上詠まれ、新古今集に最多の94首が採択されています。1189年71歳で大阪河内の弘川寺に庵をむすび、ここが終焉の地となります。辞世の歌ではありませんが、「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃」の歌の通りの入定(上人が亡くなること)だったそうです。
(前場)
一遍上人(初代遊行上人)の教えを、諸国にひろめようとしている諸国遊行の聖が、奥州白河の関跡にまいります。広い道を行こうとすると、一人の老人が現れ、先年の遊行上人が通ったのは古道の方で、また、そこには「朽木の柳」という名木の柳の木があると云い、聖を案内します。川岸の水も絶え、柳の名木は蔦がからみ、苔が生え、真に老木の有様です。老人は、この柳は西行なる歌人が立ち寄った際に「道の辺に 清水流るる 柳陰 暫しとてこそ 立ちとまりつれ」の一首を詠じた柳だと説明します。そして老人は、聖から十念(南無阿弥陀仏を十回称える作法)を授かり、古塚に消え失せます。
聖は、来合わせた所の者から柳の謂れを聞き、先程の老人の話をします。所の者は、重ねて奇特を見るように勧めます。夜もすがら聖たちが念仏を唱え、仮寝をしています。
(後場)
白髪に烏帽子狩衣姿の柳の精が現れ、先程の老人だと名乗り、非情無心の草木でも成仏できる念仏の効力を称えます。さらに柳にちなむ古事として、清水寺の楊柳観音のことや、蹴鞠の庭の柳の木のことなどを話し、報謝の舞を舞い、消えていきます。
(おわりに)
後年、松尾芭蕉が奥州旅行の際、西行法師の遊行柳を訪れ、西行を偲び一句詠じています。「田一枚 植えて立去る 柳かな」(奥の細道)

(文:久田要)