能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

通小町(かよいこまち)解説

シテ:深草少将の怨霊     ツレ:里女(小野小町)     ワキ:僧
作者:観阿弥(改作)     出典:清輔奥義抄  古事談  随心院寺伝

あらすじ

(随心院寺伝では)
「深草少将(正史には登場しない)の百夜通い(ももよがよい)」小町を見初めた少将が、「百日の間、私の元へ通ってくれましたなら、貴方の想いのままになります。」と小町からいわれて、雨の日も雪の日も通い続けて九十九日、後一日残すばかりのこの日、発病の為、降る雪に埋もれてこの世を去りました。小町との儚い恋は自らの死をもってピリオドが打たれたわけであります。小町は少将の“通い”をカヤ(榧)の実で数えていました。少将の死を大変悲しんだ小町は、この九十九個の実を少将が通った道すがらに植えました。随心院にはこの話は「はねず踊り」として語り継がれているそうです。小町は少将のことを深く愛しており、夢でしか逢えなくなった少将を想い「古今和歌集」に多くの夢の歌を残したのだといわれております。
(能のあらすじ)
八瀬の山里で一夏の修行をする僧のもとに、毎日木の実や薪を持ってきてくれる女性がいます。今日は名を尋ねようと待っています。やがて女が来て木の実づくしの物語をしますが、素性を問われ、「…………小野とは言はじ 薄(すすき)生ひけり」と下の句を口ずさみ、市原野に住む姥だと云い、弔いを願い、掻き消す様に消えてしまいます。(市原野には補陀洛寺(小野寺)があり、小町老衰像が伝わっています)僧は不思議の事と思いますが、「秋風の 吹くにつけても あなめあなめ 小野とは言はじ 薄生ひけり」の歌から小町と業平の故事を思い出し、今の女は小町の幽霊と察し、市原野に行き小町の跡を弔います。すると小町が薄の中から現れ、僧に授戒を請います。すると続いて深草少将の霊が現れ、小町への授戒を妨げ、二人の問題なのに、一人だけ残して行くのかと恨み、僧に帰れと云います。小町の霊が、山の鹿のように、招くと逃げていく、と言うと、深草少将の霊は、煩悩の犬となって、打たれると離れられなくなると、愛欲地獄を語ります。僧は二人揃っての授戒を進め、深草少将の霊に、懺悔の為に百夜通いの様子を見せるように説きます。少将は乞われるままに語ります。雨の夜も雪の夜も小町を慕い、姿をやつして徒歩で通いました。丁度百夜目は、烏帽子に服装も整えて出かけたことを語り、再現して見せます。そしてやがて、一念の悟りにて、小町も少将も成仏します。
(おわりに)
百人一首で有名な歌、「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(古今集)」(桜の花の色は、ちょうど私の美貌と同様に、むなしく色あせてしまいました、長雨を眺めている間に)
古今集の序文で、紀貫之は小野小町を「古の衣通姫(そとおりひめ)の流なり、あはれなるやうにて、強からず、いはば、よき女のなやめる所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし、と述べています。衣通姫とは、絶世の美女の誉れ高い女性ですが、兄を愛してしまったことから流罪に処せられ、非業の死を遂げたといわれている女性です。そこから、小町美女説や小町落魄説が始まったようです。

随心院発行「小野小町と随心院」及び2015.04.07刊読売新聞「神秘に包まれた小野小町」を参考にしています
(文:久田要)