能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

邯鄲(かんたん)解説

シテ:盧生     子方:舞童     ワキ:勅使     ワキツレ:大臣(3人)・興昇(2人)     アイ:宿の女主
作者:不詳     出典:「太平記」巻25 黄梁午炊の夢事

あらすじ

(太平記では)
元弘三年(1333年)鎌倉幕府が滅亡します。しかし、後醍醐帝の下での論功行賞は不正が多く、また大内裏造営などの方針決定は世の不興を買い、各地で挙兵が相次ぎ乱世が続きます。そのような状況の中、功労者の新田義貞と足利尊氏の関係が悪化、後醍醐帝は公卿会議を経て、尊氏討伐を決定し、新田義貞に朝敵追討の宣旨を発します。しかし、幾多の勝敗を制して勝者となったのは足利尊氏でした。1336年に後醍醐帝は吉野金峯山寺に遷り、南北朝の混乱の時代が始まります。その後、遠国の南朝軍が一斉に蜂起し、後醍醐帝を助けるかと思いきや、1338年には北畠顕家や、新田義貞が討たれてしまい、失意の中、後醍醐帝は52歳の生涯を閉じます。足利方の武士は奢侈にふけり、公卿・殿上人・皇室の所領さえも奪い取ります。そのような世相の中、日野資明は世におもね、阿闍梨円成が伊勢で入手した剣を、宝剣として進奏し、一時は本物とされますが、勧修寺経顕は邯鄲の夢の話を語って日野資明を諌め、院宣は撤回されます。
世間に定相のない状態を、ことわざにも夢幻といいますが、聖人に夢なしとはこの点を云い、夢のはかなさの話は数限りなくある中、とりわけしみじみとして滑稽なのは、黄梁午炊の夢の話です。
昔漢朝に、才能豊かで貧しい、盧生(ろせい)という男がいました。中々うだつがあがらない中、楚国の諸侯が賢才募集をしていると聞き、はるばる出かけていきます。徒歩の長旅に疲れ、邯鄲の旅館で休んでいると、回道人という仙人が空を飛んでいて、盧生の願いを憐れんで、富貴の夢を見せる枕を貸し与えます。盧生は夢の中で、楚王に使え、大臣になり、楚王の姫を娶り、子供が楚王の位を継ぎます。贅沢三昧に遊び暮らしていますが、盧生の夫人が三歳の王子を抱いて船端に立っていたのが、踏みはずして王子もろとも湖に落ちてしまいます。「あれよあれよ」と言った声に、盧生の夢は覚めました。夢の中で51年間過ごしたといっても、眠りの長さを考えるに、昼の食事の短い時間に過ぎません。盧生はここで、人間の一生の楽しみもただ眠りの中での夢だと悟って、楚国には行かず、遁世して世捨て人になりました。
(能のあらすじ)
蜀の国に住む盧生(ろせい)という青年は、何となく生活している自分に疑問をもち、楚国の羊飛山の高僧を訪ね旅に出ます。そして、邯鄲の里に着き一軒の宿に泊まります。宿の女主は、かつて仙人の法を使う人を泊めた時、礼に悟りが開けるという不思議な枕をもらいました。盧生はその枕を借り、一眠りします。夢に勅使が現れ、盧生に楚国の王位を譲るとのことです。盧生は天にも昇る心地で玉の輿に乗り、宮殿に赴きます。王位につき50年がたち、さらに仙家の菊の酒を飲めば一千歳まで寿命を保つということです。祝いの酒宴を披き、菊水の酒を飲み、楽を舞います。連日栄華を尽くした日々を送りますが……、宿の主人が粟の飯が炊けたと起こしにきますと、夢は覚めてしまいました。盧生は、50年の栄華も粟飯の一炊の間と知り、人間の生涯も一睡の夢と悟り、求めていたのはこの枕だったと感謝し、満足して元の故郷に帰ります。

長谷川端校注・訳「新編日本古典文学全集・太平記」小学館を参考にしています
(文:久田要)