能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

蝉丸(せみまる)解説

シテ:逆髪     ツレ:蝉丸     ワキ:清貫(きよつら)     ワキツレ:與昇     アイ:博雅三位     アイ:婢
作者:世阿弥      出典:「平家物語」海道下  今昔物語巻二十四の23

あらすじ

(平家物語・今昔物語では)
寿永三年(1184年)義経・範頼の率いる頼朝軍は、「一の谷」の戦で、かつて栄華を極めた平家一門の武将の多くを討ち取ります。その中で異色なのは、生け捕りになった平重衡(しげひら)です。この方、奈良の寺院(興福寺・東大寺)を焼き滅ぼした責任者で、評判がよくありません。梶原平三景時の護送で鎌倉へ送られます。途中「逢坂の関」での話が本曲「蝉丸」に、遠江国池田宿での話しが謡曲「熊野」に、鎌倉での取調べの話しが謡曲「千手」に取り入れられることになります。
四宮河原にさしかかると、ここは昔、延喜(醍醐天皇・900年代初頭)第四の王子蝉丸が、逢坂の関を吹き渡る風の音に心を澄まし、琵琶を奏でておられると、博雅(はくが)の三位という人が、風の吹く日も吹かぬ日も、雨の降る夜も降らぬ夜も三年の間通って立ち聞きし、かの三曲の秘曲を受け伝えたという、藁屋の住居が思いおこされて感慨ぶかい、とあります。
今昔物語では少し話が違い、蝉丸は敦美親王(式部卿宮)の雑色(使用人)となっています。この宮が琵琶の名手で、蝉丸はそれを長年聞いていて上達します。特に秘曲の「流泉」「啄木」を受け継いでいます。博雅は、その曲を聴きたいと、三年間会坂の盲者の庵の近くで立ち聞きしますが、中々聞くことができません。丁度三年目に、盲者と博雅は、互いに名乗りあい、博雅の望みで流泉・啄木の曲を伝えます。博雅は琵琶を持参していなかったので、口伝でこれを習ったということです。
(能のあらすじ)
延喜帝は第四皇子の蝉丸が盲目であることによって、清貫に命じ、蝉丸を逢坂山に捨て、髪をおろし出家させます。高貴な衣服では盗賊にあう恐れがあると蓑(みの)と、雨除けの笠を、また、道しるべの杖を御手にもたせて、村雨のなか清貫が帰りますと、一人残された蝉丸は琵琶を抱いて泣き伏します。
都から博雅三位という人が、蝉丸に藁屋を作ってさしあげ、必要があれば声をかけてくれといい、帰っていきます。一方、延喜帝第三の皇子は逆髪といい、生まれつき髪が逆立っている狂女。今は皇籍を離れ庶人に下っています。周りからは笑われている狂女ですが、心は清い方です。雨のなか、蝉丸が藁屋の内で琵琶を弾いていますと、その気高い音を聞きつけて、逆髪が蝉丸に気付き藁屋の戸をあけて対面します。お互いに手をとって、浅ましい身を嘆きます。しかし、やがて逆髪は、また何処かへと立ち去ります。
(おわりに)
「これやこの 行くも帰るも 分かれては しるもしらぬも あふさかの関」百人一首に、蝉丸とあります。

記述にあたっては、杉本圭三郎全訳注・平家物語(覚一本)を参考にしています
(文:久田要)